カルマについてのつれづれ
分割図にフォーカスしていくと、カルマについて考えさせられることが多い、感じたことを書き留めておきます。
不可抗力によって巻き込まれて自分の力でどうにもならないこと、これはカルマの仕業だから…過去生で行ったことの見返りを受けているのだから、と粛々と受け止めていくことが大事といいます。これは、アバ先生の講座で学びました。ヴェーダンタの勉強会でもこのような話は当たり前のことのように語られます。
今生を生きるにあたって、人と比べてしまうと不公平なことだらけと感じることは多い、うまい具合に人生を軽やかに楽しんでいる人を目の当たりにすると、私って、どうしてこんなに不幸なの…どうしてこんなにもうまくいかないの、というような思いにとらわれてしまうかもしれません。
このような思いにとらわれてしまった場合、いったん「とばっちりを受けたり巻き込まれてしまっている不幸な自分」を手放していくといいのかもしれません。
手放すとは、この体験は過去生で自分が行った行為がブーメランのように返ってきているに過ぎないのだから、カルマを一つ解消した、カルマを落とした、ということで、この経験は不幸な経験ではなくてラッキーな経験なのだと転換してみる、というようなこと。
ちょうど、D4についての講座をやっていて、自身の人生を振り返ってみた時に、私がこの人生で経験すべきことリストのような、運命のシナリオというものがあって、それに従っていたような気がしたんですね、あるダシャーの始まりに伏線となる出来事があって、それがダシャーの終焉にむけて問題化し、次のダシャーが始まった時に形になる、現実化するということ。
この流れを感じたということは、カルマの存在を身近に感じたということなのかもしれません。
もう一つ、精神的な側面をあらわす分割図、D9やD3、D12などのグループに対して、物質的な側面を表す分割図、D4やD10、D7、D24とは相反する方向を示すように感じることがあり、物質的な豊かさや快楽を重視し、求めすぎるということは、精神的な安らぎや心の平安を阻害する方向に傾くことにも繋がる可能性を秘めているというように感じることがある。
占いに深く関わっていくということは、このあたりのバランスをどこに置くのかを常に試されているような気がして仕方がない。
ラオ先生が占星術では一切お金を取らないというのは、この不安定なスタンスに身を置きたくないからなのかもしれないなぁってちょっと思ったのでした。
インド占星術に深く関わってきたこの2年ほどで感じるのは、カルマと隣り合わせともいえるインド占星術に関わっていくというカルマを持っているのだなぁ…ということで、愉しみを享受する人生とはちょっと違うのかもしれないな、ということです。これは、人よりもちょっとキツイ人生ということです。
ただ、ここまで来た以上はこのインド占星術を使って、依頼者の方、生徒さんに対して「知ること」の意味を見出し、「知ること」で希望を見つけられるよう手助けが出来たらいいなと思うのです。そして行動を変えていく原動力になれば、と思うのです。今生きていること、今生きることで積んでいるカルマが未来世を決めるわけです。
つれづれに感じたことでした。
※インド占星術はヴェーダンタ、ヴェーダ哲学の考え方をベースにしているので、カルマ(業)思想がベースにあります。カルマとは行為のことであり、仏教では業とも言います。人はこの世に生まれてから死ぬまでの存在ではなく、過去に何度も生まれ変わって今生に生を受けてきたという輪廻転生の思想があり、過去何世代にも渡って生まれ変わっており、その間に行った行為や心、考え方の癖、発した言葉の蓄積で今生の生が決定されており、それらが蓄積されたエッセンスがインド占星術のチャート、出生図にあらわれているとされています。